生きたい人生を生きられることは心底ラッキーなことだと思う。

例えば月に40万円の給与を自分の時間と交換することでもらえる契約があるとして、それも一つの生き方だと思う。だからそれが悪いとは俺は思わない。まるで起業することが正しいとでも言わんばかりの世の中の風潮だけど、そういう生き方も一つのオプション。なぜならそこで最低限生きていくためのお金の心配はなくなる。

 

ただ、契約は時間との交換であるから、その時間は会社のもの。つまり会社が求めることをやらなければいけない。そしてその中では契約者同士の人間関係を築いていくことも必要である。もしそういう雇用形態での生き方をするなら、絶対にブレることのない自分のアイデンティティーがあったほうが、成功しやすい。というか、これは会社に雇用されているだろうと、起業しているだろうとこのメンタリティーは必須だ。

 

俺のアイデンティティーは成長し続けること、永続した成長だ。少しずつ影響力をつけていき、共同体とともに成長し、より充実した生活を創っていくことだ。

 

大きなリスクをとったようにみえる。父は田舎のとある小売業者で雇用された形態で働き、母は専業主婦。お見合いで出会い、結婚。時代に反映されるいわゆるステレオタイプ的な家庭だった。子供は学校に行き、高校に行き、大学に行き、いい会社に就けば万歳。その考え方を疑いもしない、当たり前すぎて、それ以外の道は考えられないといったところ。それは今ではもう時代錯誤もいい加減にしてくれと言いたくなるような考え方ではあるが、当時はそれが彼らにとって普通であったし、世間にとってもそうだったんじゃないかと思う。

 

苦しかったし、怖かったけれども、俺はその道から外れる決断を下した。大学の受験期の大きな成功体験が、自分はもっと何かできるんじゃないだろうか、と期待させた。大学合格が目的だったが故に案の定燃え尽き症候群に陥り、受験期当時の異常なエネルギーの注ぎ方や目標への執念というものはプッツリと消えて、日々をただ淡々と過ごすことに苦痛を感じ始め、救いを求めるようにして本をたくさん読むようになり、そこで数々の他人の人生の物語に触れることができた。

 

本の中で聞く企業家の人たちのストーリーに魅了され、そういえば受験期にともに戦友として切磋琢磨した仲間が起業したことを思い出し、自分も何かやりたいと思う気持ちを募らせた。それでも大学での専攻と、日々の生活が内側の世界とはかけ離れた世界であった。そのギャップをどう埋めていくのか、埋められるのか、何もわからなかった。それでもちょっとずつ、ちょっとずつ、志に生きる日々に近づく努力をしてきた。本当にちょっとずつだ。

 

就職活動の時期では、まだ自分に自信が持てず、周囲が当然だと考える価値観に従って大企業、なの知れた企業の面接を受けたりした。ありがたいことに、今も昔も常に就職したい企業ランキングのトップに君臨する会社から内定ももらった。迷った。これでいいのかと。大学時代、本の世界の向こう側で出会った数々の企業家の人たちのストーリー。それに魅了され続けていた。本の活字の向こう側の世界を信じるか?周囲には、同じ志を持つ人はいなかった。

 

結局大企業の内定を断り、自らの人生を生きると決めた。実はここには別のストーリーもある。悩みに悩んだ末に、一度道を外れるリスクを取ることの怖さに負けて、担当者に内定どおり会社に就職する旨を伝えようと電話をかけた。この電話に担当者が出なかった。ここで担当者が出ていたら、今の人生は全く異なったものになっていただろう。彼女が出なかったので、再び考え直して、折り返しの電話がかかってきたときに、内定を断ったのだ。

 

この出来事は2013年の秋頃の出来事だったと記憶している。あれから9年という月日が経ったわけだが、まだまだ志半ば。失敗を数々犯してきたが、だからこうやって成長を実感できている。人としての成長をさせてくれている。与えられたこのチャンスをありがたいことに得られているのだから、幸せなもんだなと思う。本当にまだまだ志半ばなんだけど、もっともっと事を成せると信じている。

 

とまあ、かっこよくつらつらと書いたけど、人間だから落ち込んだり気持ちがぶれたりすることがある。そんな時こそ、こういう初心に戻ってきたい。